説教

 

『いのちを大切に』

中野区天徳院住職・筑波大学名誉教授   大藪 正哉

 

 私どもが生きてゆくためには、呼吸をする、お水を飲む、食事をする、睡眠をとる、ということが必要です。呼吸は自分で心掛けなくても、無意識にやっています。寝ているときも呼吸はしています。お水は「喉が渇いた」と思えば必ず「お水を飲みたい」と思いますので、飲める水があれば、お水を飲むことができます。おなかがすけば「何か食べたい」と思いますので、食べられる物があれば、何とか食事をすることができます。現在では食べ物を手に入れるためには「お金」が必要ですが、工夫をすれば飢え死にするようなことはありません。睡眠は、疲れれば必ず「寝たい」と思いますので、二日間ぐらいは徹夜をしても、どこかで必ず寝てしまいます。

 呼吸と睡眠は、自分で心掛けなくとも、何とかやっていけます。お水と食事は自分で心掛けていただくようにしなければなりません。

 喉が渇けば誰でも「お水を飲みたい」と思いますので、飲める水があれば、そして「飲もう」と決心すればお水を飲むことができます。私は毎朝目が覚めるとすぐにコップに二杯ほどのお水をいただくことにしています。お医者さまのお話によると、飲んだお水は胃と腸で吸収され、それが血管を通って、早い人では20分くらい、おそい人でも30分ほどで、私どもの皮膚をうるおわせるようになっているそうです。飲む前のお水は私とは別の存在のように思われますが、ひとたびお水を飲んでしまうと、20分か30分ほどで、私どものからだの一部になってしまって、お水と私どものからだとの区別はなくなってしまいます。このことを の歌にしてみました。

 水飲めば お水もわれも なかりけり

 お水がわれか われがお水か

 まことにお恥ずかしい愚作ですが、これを繰り返し繰り返し声を出してお唱えしていると、「なかなかよくできているなー」と自分でびっくりするような思いになってきます。私どものからだの70%ほどはお水であるといわれています。

 私ども一人ひとり顔かたちは異なっていますが、お水の立場にたってみると、

 ―― みんなお水の仲間だ ――

 ということになっていることに気が付きます。このことに気が付いてみると、川のお水も、湖のお水も、そして海のお水も、みんな仲間だということになって、

 ―― 地球全部がみんな仲間だ ――

 ということになると思います。

 

 食事は2日や3日は何一つ食べなくとも死ぬようなことはありませんが、呼吸は10分以上中止ということになれば、生きてゆくことはできません。お医者さまのお話によると、私どものからだは、およそ60兆の細胞でできているそうです。この細胞が生きてゆくためには、酸素O2と栄養が必要です。この細胞が必要としている酸素O2は、呼吸によって肺から取り入れられています。この呼吸のことを歌にしてみました。

 わが肺で 天地の気力いただけば

 天地もわれも なかりけり

 天地がわれか われが天地か

 これもまことにお恥ずかしい愚作ですが、この歌で苦労したところは、「空気」のことを「天地の気力」としたところです。酸素O2を必要とする生き物にとって「天地の気力」は大切です。「天地の気力」の立場にたってみると、

 ―― みんな天地の仲間だ ――

 ということになります。「空気」は地球を取り巻いているわけですから、

 ―― 地球全部がみんな仲間だ ――

 ということになると思います。

 

 私どもの食事の中身は、いろいろとありますが、御飯にしろ、おうどんにしろ、パンにしろ、お野菜、お肉、お魚、果実など、なにをとってもみんな天地の恵みです。お米1粒でも天地の恵みがなければ、いただくことはできません。私どものからだに必要な栄養は、よく消化しないと吸収されません。とくに「でんぷん」はアミラーゼという酵素がないと消化されないそうです。そして、そのアミラーゼという酵素は唾液の中にしかありません。胃液の中にはアミラーゼは存在しないそうですので、食べる物をよーく噛んで小さく砕くと同時に、唾液を満遍なくまぜあわせることが大切だそうです。

 これも歌にしてみました。

 よく噛んで 天地の恵みいただけば

 天地もわれも なかりけり

 天地がわれか われが天地か

 これもまたお恥ずかしい愚作です。お食事はよく噛んで食べ過ぎないこと、食休みをすることが大切です。食べ過ぎると、これを消化吸収するために大量の血液が胃と腸のまわりに集まってきます。そのため、からだ全体が、病気に対して無防備の状態になってしまいます。消化吸収しているとき、からだをかなり動かすと、胃と腸に必要な血液を他の部分にまわさなければならないことになりますので、消化吸収がまことに不十分になってしまう恐れがあります。

 

 睡眠は本当に疲れてくれば、寝てしまいます。これも歌にしてみました。

 ぐっすりと寝ているときは わからない

 天地もわれも なかりけり

 天地がわれか われが天地か

 これもお恥ずかしい愚作です。本当にぐっすり寝ているときは、なんにもわかりません。もしわかっているときは、ぐっすりと寝ていないときです。私どもはどうしても睡眠が必要です。

 

 私どもがいま生きているのは、ご先祖さまから「いのち」を伝えていただいたことと、天地の恵みをいただいているからです。ご先祖さまと天地の恵みに感謝して、毎日を楽しく仲良く生きていきたいものです。

                                                   合 掌

*この稿は、「『いのちの尊さを祈る日』慰霊祭」での講演を抄録しました)。