最乗寺(小田原道了尊)御開山  了庵慧明禅師  六百回大遠忌に向けて

 『御開山禅師への報恩』

 大雄山最乗寺山主 石附周行

 

 平成22年は最乗寺御開山 了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師六百回大遠忌正當(だいおんきしょうとう)の年であります。過去7年余にわたってこの年を迎えるべく準備をしてきたわけでありますが、いよいよの感を強く抱くものであります。

 御開山禅師は、建武4年(1337年)といいますから、足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられ、京都に室町幕府を開く前の年、相模国大住郡糟谷の庄(おおすみごおりかすやのしょう)現在の伊勢原市にお生まれになりました。長じて地頭の職に在りましたが、戦国乱世の虚しさから鎌倉不聞禅師(ふもんぜんじ)に就いて出家、能登總持寺(そうじじ)の峨山禅師(がさんぜんじ)に参じ、更に丹波(兵庫県三田市)永沢寺通幻禅師(ようたくじつうげんぜんじ)の大法を相続されました。

 その後永沢寺、近江總寧寺(おうみそうねいじ)(後年下総に移寺。現市川市)、越前龍泉寺(りゅうせんじ)、能登妙高庵寺(みょうこうあんじ)と通幻禅師の後席すべてをうけて住持し、大本山總持寺に輪住されています。

 五十歳半ばにして故郷であります相模国に帰り、曽我の里に竺庵(ちくどあん)を結ばれました。そのある日、一羽の大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び、現在もございます大松「袈裟掛けの松」の枝に掛ける奇瑞(きずい)を現じた。その啓示によってこの山中に大寺を建立、大雄山最乗寺と号したのが当山のはじまりでございます。応永元年(1394年)310日のことと伝わっています。成願寺様の開基・鈴木九郎様が荒れ野原であった中野の地を開墾されはじめたのと同じ頃のことでございます。

 御開山了庵慧明禅師のお弟子で最乗三世をおつとめになられたのが大綱明宗(だいこうみょうしゅう)禅師。その方に就いて修行されたのがのちに最乗五世となられた舂屋宗能(しょうおくそうのう)禅師。大綱禅師は若き日の弟子・舂屋に「本来の面目」とはなにかと課題を出されています。

 そんなある時、農家の前を通りかかった舂屋の耳に米をつく音が聞こえてくる。その音を聞き忽然と「本来の面目」につきあたったといいます。さっそく大綱禅師のもとに戻り、

 去年の梅 今年の柳 (こぞのうめ こんねんのやなぎ)

  顔色馨香 旧に依る (がんしょくけいごう きゅうによる)

と告げられた。これは、去年の梅も今年の柳も、一切の草木に到るまで、その香り色すべて本源のいのちの姿をしているという意味でございます。見事師を満足させる答えに行き着いたわけでございます。

 一方中野の地を順調に開拓し、中野長者と呼ばれるまでになった鈴木九郎は村人の尊敬を集め、なに不自由なく暮らしておられた。そんな折り、一人娘の小笹に先立たれてしまいます。その悲しみから舂屋禅師に就いて出家。最乗寺より禅師を招いて娘の供養をし、その菩提を弔う(ともらう)ため現在の新宿十二社(じゅうにそう)に堂宇を建立したのが、成願寺様のはじまりと伺っております。

 こうして最乗寺と成願寺は、室町のころからの深いつながりがあるわけでございます。このたび、御開山禅師大遠忌にあたり、方丈様に焼香師として上殿いただく運びとなりました。このご縁に感謝し、お慶び申し上げる次第でございます。

 さて、大遠忌行持ぎょうじ)の意義を一言で申し上げるとすれば「報恩の誠をつくす」ことであります。報恩は香たき灯備え、お経をお読みする事も大切でありますが、日々の行持これ真の報恩行でなければなりません。

 然らば、どのような日々の行持を勤めるべきかと考えますと、次の三心を目標として歩んでいくことが重要であると考えます。即ち一つに直心(じきしん)、二つに深心(じんしん)、三つに大悲心(だいひしん)であります。

 最初の直心でありますが、素直な道に契(かな)った心であります。この心を持つには吾々の心を諸々の嘘偽り(うそいつわり)から離れることが肝腎です。従前の錯り(あやまり)を悔い、裏表なく道を求める心です。

 第二の深心は、深遠なる志と天地の姿にこの身をまかせていく生き方です。

 私共は、ともすると浅はかで悪を厭い(いとい)善を楽(ねがう)ことは少なく、多くは自己一身の利害得失を標準とする傾向があります。これを反省し、如何なる人でも如何なる時でも処でも、一念の深心さえあれば必ず仏道を感じ、功徳を全うすることができるはずであります。

 第三の大悲心は一切衆生を利益せしめる大願を発すことです。他の苦痛を済(すくい)他の安楽へと導く行願を発すことであります。一切衆生と共に真正なる信念と道心をもって、仏道の正道を共に歩む覚悟が大切であります。

 以上三心を具足することによって、自ずと仏法の行持が真の身に備わってくるに違いありません。この身に仏法の行持が現れるところに、御開山さまへの報恩の誠となるはずであります。    合掌

(最乗寺発行「大雄」より、加筆いただき転載)