『中学一年の皆さん』(第三回)

     成願寺 住職   小林 貢人

 桜の名所、九段の靖國神社を訪れた事ありますか。総理大臣がお詣りするとすぐ韓国・中国から強硬な抗議『アジア侵略犯罪者を敬うとは何ごとだ』となる。君達よく知ってますね。日本国内でも靖國神社は軍国主義の残像だと嫌うのが何人もいる。

 いっぽう、たくさんの人が祖国に命を捧げたその心情を悼んで、年に5百万以上の人がお詣りにゆく。

 60数年前、なぜ大戦争になったか。アジアの解放を目ざしたはずの日本が近隣に大迷惑をかけたが、ほかに手立てが無かったのか。また、日本は負けたが、欧米の植民地から解放され独立した国も多い。これらの経緯についてはいろいろな見解があります。

 しかし開戦した以上、兵隊・船員従軍看護婦などの軍属・内地外地の一般国民、すべてが敵と戦わなければならなかった。日本だけではありません。アメリカ、ロシア、ドイツ、みなそうです。いやでもおうでも祖国に命をかけた。日本では死ぬこと承知で敵陣に飛び込んでいく特攻隊さえ組織された。

 靖國神社の是非はともかく、奥の遊就館(資料館)を一度のぞいて見て下さい。この150年日本人が辿った道について、いろいろ考えさせられますよ。

 

 だいぶ前のことです。信州の小高い山の上、60センチほどの石碑に出会いました。

  望み見る山肌の紅 微かに聞くせせらぎの響

  これを私は忘れない 永遠の旅立ちの日まで

  もしもこの地に戻ることあれば 碧い空の下

  新酒を酌み交わし また夢を語り合おう

 戦地に散った青年の一文でしょう。この追悼の碑を据えた遺族の手は震えていたでしょう。

 しばらくしてアメリカのニュース映画を見ました。南の島でアメリカ軍がある洞窟を砲撃してる。すると裸の日本兵がふらふらと出たきた。暑さと爆風で意識もないみたいです。アメリカ軍の火炎放射機があっという間に炙り殺す。

 この兵隊がどんなにか日本へ帰りたかったか、どんなにか母や妹の顔を確かめたかったか。「望み見る山肌の紅」の文を思い出しながら、私は涙を抑えられませんでした。

 繰り返します。戦争でたくさんの犠牲者がでた。

 ニューギニア、ビルマ戦線で撃たれ、飢えて死に、また空襲下に息を詰まらせて死んだ日本人は数えきれない。罪の無い、弱い立場の人ほど先に逝った。

 いいですか。切ない無念の想いをを抱きながら命を絶った人達は何のために死んだのでしょう。

 君たちのためです。

 日本のため、次の日本人のために死んだ。

 

 お寺って何なんだろう。本日の第2課題。

 お寺はお釈迦さまの教えを伝えるところです。君たちは親が2人、おじいちゃんおばあちゃんが4人いる。さらに上が8人、16人と増えていく。そうやって30代さかのぼると総計30億人。これは、永平寺の禅師さんの計算ですから間違いない。たいへん多くの人のおかげで君たちは世に生まれ出た。

 君たちは字を読み書ける。幼稚園、小学校、いま中学校、いろいろ先生に教えてもらったから字が書ける。それから、隣近所や出入りの人などから世間の付き合い方を学ぶ。

 永い人間の歴史、この先人たちは何のために生きてきたか。畑を耕し海に漁し、敵と戦い友に和して、子の代孫の代、すなわち今の君たち中学一年生の肉体と心のために必死に生き、働いてきたのです。この今の君の生活を作るために生き、死んでいった先人たちを有縁無縁の先祖という。

 これを君の縦の縁、先人の功徳と理解して下さい。

 

 つぎに横の縁がある。

 その鉛筆を作ってくれた人、君の靴を作ってくれた人、ジュースを作ってくれた人がいる。そのジュースのもと、水について考えてみます。

 こちらをごらんください。一辺1メートルの箱、容量1立方メートルです。東京都水道局に伺いました。都民一人月平均5.5リットルの水を使う。家でまず飲水、食事、洗濯、お手洗、外へ出ると学校、駅、病院、工場、コンビニでと水はよく使いますね。この箱5杯半、この500ミリリットルのペットボトルで1万1千本の水を君は毎月使っています。その水は遠い川、湖からいろんな工夫をしてくださる人により私たちの手元に届きました。

 使ったあとの水処理、下水の設備と人手がまた膨大にかかる。東京都の水道局ではいま一日平均450万リットル弱給水してるそうです。450万リットル、東京ドームをコップにして3.7杯。これは大変な量です。有難い話です。利用者約9百万人、無駄に使い流してはいけませんね。水だけでもたいへんだ。まわりを見て下さい。すべての物が手間、時間、費用の塊ですね。そういう社会の横の関係、縁がなければ君の衣食住は成り立たない。生きていかれない。

 その縦の縁、横の縁、云ってみれば大自然│乾坤、天の縁で私たちは生かされている。

 

 お釈迦さまは私たちが乾坤の縁のなかに浮き、育てられてる姿を、まず自らしっかり見つめなさい、とおっしゃっておられるのです。

 正面をも一度ご覧下さい。あの方が成願寺の本尊お釈迦さまです。君達は大自然、天の縁の具現者としてあの仏像を受けとめ、拝み、ものを考える出発点にして下さればよい。供養の始まりです。

 たとえば針供養、爼(まな板)供養ってありますね。洋裁和裁の人たちが折れた針を、料理屋の人が使い古したまな板を集め、これを祀って供養する。単に使用した道具ではない。世話になってる仕事仲間として針やまな板に感謝し、生活を支えてくれる天の縁のひとつとしてその功徳を拝むのです。

 この有難い縁に対し私たちは何をもって酬いるべきか。私たちはどうしたらいいんだ。考えてみよう。それがお釈迦さまの次ぎの教えです。お釈迦さまの心をよく感得した道元禅師という偉いお坊さんがいまして、その人は『日々の行事、その報謝の正道なり』と誌された。毎日毎日の生活、それをきちんと勤めることが報謝の正道。先祖、それから地域、社会からくるこの横と縦の恩。これを佛天の加護ともいいますが、それにたいする報い感謝する道、これは日々の行事の中にのみある。そう教えて下さった。

 難しい事なんてありません。

 

 君たちは公害ということばを知っていますね。環境問題、環境を崩す。君たちが生きていることそのものが環境破壊なのです。そうでしょう。炭酸ガスを出す。ゴミ、汚物を出す。そうですね。人間というのは生きていることそのものが公害の始まりですなの。では、環境を保護するためと言って、じゃあ僕は死んだほうがいいかというと、まてよ、となる。そうですね。誰も死んでまで環境を保護しようと思わない。人間の存在というものはもともとそういうもの。これを業といいます。

 君はお父さんに叱られた、またお母さんに叱られたことがある。なぜ親が子を叱るか。カンニングをすると先生がいけないと叱るでしょう。親が叱るということ、先生が叱るということは、憎くて叱るのではない。愛し育てるために叱る。産まれたっきりの人間という公害の存在を、世間の役に立つ公益の器にするために叱り教導するんです。

 教えてくれる人、機会はけっこうあるんです。しかし教えを吸収するのは君達自身です。お医者が薬を揃えても飲むのは本人だ。お釈迦さまもお話の中で喩えている。

 日々の行事をしっかり勤める。寝て起きて食べる。朝起きて、お母さん、お父さんに大きな声で「おはよう」。そしてご飯をきちんと食べる。そして服を着たらもうでれっとしない。歩くときは姿勢正しいかみずからチェック。靴を脱いだら揃える。教科書を投げたり、跨いだりしない。風呂手洗いを使ったあと汚していないか、確認清掃。一つ一つ、日々平凡の行事をけじめよく消化することなのです。

 これを守ってごらんなさい。はたからみても美しいのです。君の評判は上がり、友だちに持てますよ。

 

 話が飛び飛びになります。服部幸應さんという栄養調理の先生ですが、非常にいいことを言われてた。 『学校で勉強するのは、生きるための知恵を蓄え、その活用法を学ぶ知育、しっかりした人格を各自自身が見つけ出す徳育、それから健康な体をめざす体育、この三つが古来重んじられている。

 もう一つ食育、この新しい言葉を私は提唱する。今日本の食生活は乱れている。商業的に見栄えよく豊かに見える食材は養殖が多く、薬づけの危険もある。加工段階でも感心できぬ傾向あふれている。そしてなにより食事時刻が乱れた。安全で良い品質の食事を定刻に取る心掛け、食生活を各自が守る。これを、ごく若い時から学ぶべきだ。』

 並んでいる君たち、5人に1人ぐらい朝飯を食べてこないんじゃないかな、それはいけません。朝ご飯をきちんと食べ栄養を摂る。噛んで、よく噛んで体と頭をを目覚めさせる。気持ち良い一日のスタートだ。食育こと始め、日々の行事こと始めです。

 きちんとするということは時間を守ることも含みます。むだに時間を過ごしてはいけない。先ほど、昔の中学生の時間表見てのとおり、教練があった。教練というのは兵隊さんのまねです。終わると勤労奉仕というのがあって、それがまた分刻みの仕事。ものすごく忙しかった。ところがいまは平和になって、あまり追い立てられない。そのぶん自分自身で生活規則をきちんと守らないと失敗する。

 君達もう習ったかな。古人の文。『少年老い易く学成りがたし 一寸の光陰軽んずべからず 未だ覚めず池塘春草の夢 楷前の梧葉すでに秋声』

 少年時代はすぐ過ぎる、春の訪れを楽しむ間もなく、気が付いたらはや秋も深い。時間を惜しんで勉強しましょうという訳だ。

 とはいうものの、この詩が有名なのは池塘春草の夢に沈没する人が昔からいかに多かったか、との証明です。私も同じくなんです。恥ずかしい。

 君たちはあとで後悔しないよう少しずつ努力して下さい。今日の夕方、明日の朝から佛天の加護を改めて見つめ、時間を有効に、報謝の正道を心がけて下さい。

 

 そういうわけで、今回三つお話しました。

 空襲の話、空襲というものはまことに怖いものだ。そして二度とこういう目には遭いたくないなと。

 そして空襲が二度と起きないようにするにはどうしたらいいのか。世界に大きな戦争の流れが起きたとき、私たち日本人ができる限りのことをして流れを弱くし、止めるようしたい。私たちからは戦争が起こさない。はやりの言い方かな、戦争したい奴はシカトする。そういうことを私は希望したい。

 それから仏教というものはいったい何だろう。チーンとやって拝むだけだろうか。そのもとは先祖供養。ひじょうに大事です。その時縦の因縁というもの、横の因縁というもの、その乾坤のつながりを省み、感謝し、『私はこの縁を活用させて頂き、後世に伝えます。』と自問自答したい。この先祖供養ということから報謝の生活を考えましょう。

 

 最後にお土産です。たくさんあると粗末にするから一つだけ。頼みがある。せっかくこうやって顔を合わせた。今夜の、明日の朝のご飯、お母さんたち、いまはお父さんが作るのもいるかもしれないが、お母さんは、君たちが体がよくなるように、そして落着いて勉強できるように考えてご飯を作ってくださる。君たちが食べられないようなものを作ったりしない。一生懸命作ってくれた。そのご飯を喜んで「いただきます」「ごちそうさまでした」としっかり食べて下さい。使った食器は自分で洗う。いいですね。

 本尊様に約束しましょう。          合 掌