圓通閣(百観音堂)
 
開創当時より観音さまと縁の深い当山には、西国三十三ヶ所、板東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の、あわせて百の観音霊場のご本尊さまと同じお姿の観音さまが安置されています。
百観音への信仰は特に江戸の頃より盛んになりましたが、幕府の政策により諸国を自由に旅することは極めて難しく、一般庶民が霊場を巡礼することはほとんど不可能な時代でした。そこで百の観音さまを一堂に安置し、そこへ参ると百の観音霊場を巡礼するのと同じ功徳が得られるとされたのです。
文政元年(1818)に記された『嘉陵紀行』の成願寺の項には「門より本堂まで35〜36間入った所に 百観音堂かやふきなり」とみえます。当山も江戸中期には百観音の霊場として信仰を集めはじめました。

※圓通閣の聯(れん)について
お堂の入り口の両脇にかかる木製の板を聯といいます。古来、書や絵を描いたり彫ったりして左右対 称に掛け、飾りとします。
圓通閣の聯には、「菩提本無樹 明鏡亦非台 佛性常清浄 何処有塵埃」 ― 菩提もと樹なし 明鏡もまた台にあらず 佛性常に清浄なり 何れの処にか塵挨あらん ― とあります。これは、中国唐代の傑僧大鑑慧能(だいかんえのう)禅師の詩文です。書は小田原 大雄山最乗寺第十八世山主、元大本山総持寺副貫首 余語翠巌(よごすいがん)老師(平成8年12月21日示寂)のご染筆によります。

 
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